何度も問われることの意味


「何を実現したいの?なんでもいいよ」

社会人2年目、何度も問われた。
これと言って実現したいこともない私は口ごもるだけだった。

しかしその人は毎回その質問の前後に
自分の夢を語るのだった。

Boy Playing with a Toy Airplane

その壮大で具体的な内容と情熱的な語り口に、
私はただ圧倒されるだけで、ますます自分の夢を
口にするのがはばかられるのだった。

しかし、挨拶のように繰り返し
何度も問われているうちに、少しづつ、
言葉にできるようになっていった。

なぜ働いているんだろう。何をしたくて働いているんだろう。
私の仕事はどう役に立っていて、どんな意味があるんだろう

収入を得るため、生きるため、欲しいものを買うため・・・。

たしかにそうだけれど、なんだかそれだけではない。
それだけでは物足りない。なぜ物足りないんだろう。幸せってなんだろう?
私が幸せを感じる時はどんな時だろう?

働くことについて問う時間が増えていった。

そして少しずつ 言葉になっていった。
その言葉は語るごとに、形をあらわにし、具体的になっていった。

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4年後、私は退職して、自分がなりたいものになるための仕事に就いた。

その時の私は、初めて会う人にも自分が働くことを通して実現したいことを
語る言葉を持っていた。

そして、仕事とその仕事を育てる仲間を創る言葉を持っていた。

意志は、言葉と共に育っていた。

今、私は再び問われている。

何となく憧れていて、いつかできるようになりたかったからという
漠然とした動機をどう表現したらいいかわからなかった。

毎回、色んな人に問われ、
その場で思いついたことを答えるものの、言い得ていない感覚が残る。

毎回、思いついた理由を答えながらも、
本当の理由を問いかける毎日が始まった。

しかし、今はまだ納得のいく答えが、育っていない。

そして問われるごとに、少し困った顔で答えている。
しかし私は思うのだ。

問われることで、意思は育つのだと。



今はまだ、自分の中に芽生え始めた小さな種が、どんな花を咲かせ
どんな果実を実らせるのか、分からない。

でも、種があってやっと芽吹こうとしていることだけは確かだ。

私が育てようとしている、まだ小さな頼りない芽に関心を寄せ、
それがどのような花なのか、どう育てたいのか、

問いかけてくれる人のおかげで
僅かな成長を見守ったり喜んだりしてくれる人のおかげで、

私は注意深くその種が自分の中に存在している理由や、芽吹いた理由や、
いつどんな花を咲かせたいのかに思いを巡らせていくことができる。

何か明確な目標がなくても、自分の中に何かの芽生えだけを感じることはある。

たしかに自分のものなのに、正体が分からない種を育てていくのは、
むずかしい。戸惑いも不安も伴う。

だからこそ、多くの問いかけと多くのまなざしの中にいて育てていきたい。

自分の土壌に今ある、栄養だけでは育てられないかもしれないのだから。

自分の芽だけを見るのではなく、傍に咲いている花や芽やの実の状態や
そこに注がれている栄養をその都度足していけばいい。

今は、将来自分がどう語るのか、楽しみにしながら考える日々だ。

 

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