男性の家庭参画に対するジェネレーションギャップを痛感。お互いに悪気はないのに、ちょぴり傷ついてしまった出来事がありました。
市が主催している「イクメン・フォトコンテスト」に入賞したとの連絡を受け、義母に入賞した写真を添付して、報告。喜んでくれると思ったところ、おめでとうの言葉と共に、「頑張りすぎて体調を崩さないか心配です」とのコメントが。家事をしながら子供の相手をしている写真だったので、大変そうに見えたのかもしれません。
お義母さんがそういう感じ方をすることに、全く想像力が働かなかった私も私。安易に送ってしまったことをちょっと後悔しましたが、どう感じるかを知ることができ、感謝しています。そしてこういう世代間ギャップが、女性の両立や男性の家庭参画のハードルを上げている側面もあるのだろうなぁと改めて思いました。価値観のずれによって生じる些細なすれ違いを、見なかったことにしたり、我慢したり、反論したりする以外の方法を考えてみたいところです。
・・という話をしたところ、「祖母が、家事をしている夫に(孫が)そんなことをさせて申し訳ないと謝っていたことがある」「台所に男性を立たせるな、と母に怒られたことがある」など、似たようなエピソードが、友人・知人から届きました(笑)。
家事・育児の常識は、時代・地域・家庭によっても異なりますし、常に変化し続けてますが、自分が信じ、守り、大切にしてきたことが変わるのを目の当たりにした時に、抵抗感を感じるのは自然な事。それをどう乗り越えていけばいいのでしょうね。
これは、今、働き方に関しても同様のことが起こっていますよね。
私は「違いを認める」難しさの根底には「自分の過去を尊重されたい」という想いが横たわっていると感じています。そして、表面的な方法は違っていても相手のやり方を尊重される(する)ことができるかどうか。が、解決のカギを握っているのだろうなと思っています。
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